年齢を重ねるにつれ、友人や私を評価してくれる人々だけでなく、思想上の反対者が私の前に差し出す鏡に映る自分が、どのように見えているのかに、ますます関心を持つようになった。そうすることで、自分についてだけでなく、私を批判する人々についても、多くの示唆に富むことを知る。それが正しいのかどうかは、おそらく他の人々が判断するだろう。だが、これに関して数日前、次のようなことがあった。ポール・ドラゴシュ・アリギカ氏の長く、やや冗長な文章を読んだのだが、困惑させられた。読み始めたとき、アリギカ氏が私の大ファンなのか――もっとも、妄想的なファンだが――それとも同じく妄想的な敵対者なのか、ほとんど分からなかった。(どうやら、やはり敵対者ということらしい。)いずれにせよ、裁判でのソクラテスの言葉を借りれば、アリギカ氏が9月25日にフェイスブックへ投稿した文章の中で私に描いた「肖像」に、自分自身を見いだすことができない。(そこではアリギカ氏が、ダニエル・フネリウ氏から私に向けられた批判の一部を支持していた。私は前号の記事で、できる限り彼に答えた。)
では、アリギカ氏の見解では私は何者なのか。「アンドレイ・コルネア氏は長年にわたり、通称
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